有田唐船大観音 Arita Tousen Daikannon    お問い合わせ |  サイトマップ
 

  ~~室町末期から続く歴史ある寺院 有田焼の陶祖 李参平 の菩提寺でもあります~~
■龍泉寺の歴史

九州は肥前の国、陶磁器の里“有田”とその輸出港“伊万里”の間を走る松浦鉄道<大木駅>の近くにあります。空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の寺院です。

創建は室町時代末期の天文元年(1532年)で鎌倉時代から戦国末期まで長崎県や佐賀県西部に割拠した松浦党の流れをくむ豪族、松浦丹後守親の祈願寺として建てられました。
当初は、現在の<有田唐船大観音堂>の地である「有田唐船城」の城域内にありました。そこは、伊万里と有田をむすぶ”有田川”が山の三方を取り巻くように曲流していて、天然の要塞をなしていたため築城されたと云われています。

天正4年(1576年)、唐船城が龍造寺隆信の軍門に下り、徳川幕府の”一国一城令”により城は廃されましたが、寺は残り、江戸時代中期に現在の大木宿の地に移されました。

江戸時代、この大木宿は、ヨーロッパで絶大な人気を誇った”有田焼”を輸出港の伊万里津へ運び、海外へ輸出するための中継地点かつ宿場町としてとても栄えていました。藩直轄下に置かれ「有田皿山代官所」もありました。代官には”葉隠”で知られる、山本常朝の父、山本神衛門重澄も就任しており、いかにこの地を重要視していたかがわかります。

このような歴史を経て、480年有余年近在近郷の老若男女のよりどころとして、今もこの地を守り続けています。


■有田焼陶祖”李参平”との御縁

有田焼陶祖”李参平”の菩提寺でもあります。
”李参平”は秀吉の朝鮮出兵の引き上げの際に帰化した陶工の一人で、日本で初めて「磁器」の制作に成功し、陶工の指導者として現在の窯業システムの<分業制>を確立したとされます。
当寺院が保有する過去帳(檀家・信徒の死者の法名、俗名、死亡年月日を記載したもの)には
「月窓浄心・上白川三兵衛・明暦元年八月十一日」とあり、1959年に同有田町内の天狗谷古窯の近くで「月窓浄心居士」と刻まれた墓石が発見されており、それと一致します。

   

 











旧西有田町重要文化財「山門」

天保四年(1833年)に建立。当寺院最古の建造物。四脚の本瓦葦入母屋造で天保期のものらしく、華やかな細部装飾が施されています。